2010年12月23日
ドラフト1位 的場寛一ベストナイン受賞
10年度の社会人野球表彰で、阪神からトヨタ自動車入りした一塁手、的場寛一(33)と、ヤクルトからシダックスを経てヤマハでプレーする二塁手の佐藤二朗(30)がベストナインを初受賞した。元プロ選手の同時受賞は、1966年のベストナイン制定以来初めて。東海地区のライバルでもある的場と佐藤は、16日の表彰式で並んで登壇。互いをたたえながら、来季に向けての闘志ものぞかせた。
的場は99年のドラフト1位で九州共立大から阪神に入団。ひざの故障などもあって1軍での出場は通算24試合にとどまり、05年限りで自由契約になった。翌年、トヨタ自動車に入り、今季は日本選手権で2本塁打を放つなどして打撃賞に輝き、優勝に貢献した。
「元プロという意識は抜き、一社会人としてプレーしている」という的場は、「自分一人で得られる賞ではない。チームワークの良さと、チーム内の厳しい競争が結果につながった」と話す。
日系3世としてブラジルで生まれた佐藤は99年から5年間、ヤクルトに在籍した。ヤクルト、阪神で監督を務めた野村克也氏が率いる社会人のシダックスに04年に加入。シダックスの解散で、07年にヤマハに移った。
ヤクルト時代は外国人枠の制約もあって不遇だったが、シダックスで野村監督に出会い成長した。「バッティングは体だけではできない。頭を使えと教えられたことが今も生きている」という。今季は都市対抗1回戦で試合の流れを決めるソロを放つなど、主砲として日本選手権を含めた2大大会8強入りの原動力となった。
「ベストナインは目標だった。祈る気持ちで選考結果を待っていた」という佐藤。「2大大会でベスト8入りし、受賞もかなった。良い年になったが、優勝に届かなかった悔しさは残る」
同じ東海地区で同じく4番を打つ的場は、07、08年の連覇に続いて3度目の日本選手権優勝を果たした。佐藤は「的場さんのことは意識している。負けられません」と、ライバルへの対抗心で来季への決意を表した。【藤倉聡子】
ヤフーニュース
的場寛一・・・阪神ファンでも知ってる方はいますか?阪神のショートは鳥谷敬であることは、ほぼ全員知っていますが、99年の即戦力ショートで獲った選手である。詳しくはウィキペディアからの抜粋をご覧ください。
大学時代
九州共立大学進学後は遊撃手として、堅実な守備とシュアな打撃が評価され、阪神タイガース・中日ドラゴンズ・西武ライオンズ・近鉄バファローズの4球団が逆指名枠を争ったが、同年のドラフト会議で阪神を逆指名し、1位指名で入団。
プロ時代
即戦力と期待されてプロ入りしたが1年目から何度も膝を故障し、その影響で外野手にコンバートされた。
2004年、2005年は当時の岡田彰布監督の秘蔵っ子として開幕一軍確実と期待されたが、共に開幕直前に右肩を脱臼しチャンスを逃した。2005年秋に球団から戦力外通告を受け自由契約となった。
本当に怪我が多かった。オープン戦では目立つのに・・・という選手である印象が残ります
的場は99年のドラフト1位で九州共立大から阪神に入団。ひざの故障などもあって1軍での出場は通算24試合にとどまり、05年限りで自由契約になった。翌年、トヨタ自動車に入り、今季は日本選手権で2本塁打を放つなどして打撃賞に輝き、優勝に貢献した。
「元プロという意識は抜き、一社会人としてプレーしている」という的場は、「自分一人で得られる賞ではない。チームワークの良さと、チーム内の厳しい競争が結果につながった」と話す。
日系3世としてブラジルで生まれた佐藤は99年から5年間、ヤクルトに在籍した。ヤクルト、阪神で監督を務めた野村克也氏が率いる社会人のシダックスに04年に加入。シダックスの解散で、07年にヤマハに移った。
ヤクルト時代は外国人枠の制約もあって不遇だったが、シダックスで野村監督に出会い成長した。「バッティングは体だけではできない。頭を使えと教えられたことが今も生きている」という。今季は都市対抗1回戦で試合の流れを決めるソロを放つなど、主砲として日本選手権を含めた2大大会8強入りの原動力となった。
「ベストナインは目標だった。祈る気持ちで選考結果を待っていた」という佐藤。「2大大会でベスト8入りし、受賞もかなった。良い年になったが、優勝に届かなかった悔しさは残る」
同じ東海地区で同じく4番を打つ的場は、07、08年の連覇に続いて3度目の日本選手権優勝を果たした。佐藤は「的場さんのことは意識している。負けられません」と、ライバルへの対抗心で来季への決意を表した。【藤倉聡子】
ヤフーニュース
的場寛一・・・阪神ファンでも知ってる方はいますか?阪神のショートは鳥谷敬であることは、ほぼ全員知っていますが、99年の即戦力ショートで獲った選手である。詳しくはウィキペディアからの抜粋をご覧ください。
大学時代
九州共立大学進学後は遊撃手として、堅実な守備とシュアな打撃が評価され、阪神タイガース・中日ドラゴンズ・西武ライオンズ・近鉄バファローズの4球団が逆指名枠を争ったが、同年のドラフト会議で阪神を逆指名し、1位指名で入団。
プロ時代
即戦力と期待されてプロ入りしたが1年目から何度も膝を故障し、その影響で外野手にコンバートされた。
2004年、2005年は当時の岡田彰布監督の秘蔵っ子として開幕一軍確実と期待されたが、共に開幕直前に右肩を脱臼しチャンスを逃した。2005年秋に球団から戦力外通告を受け自由契約となった。
本当に怪我が多かった。オープン戦では目立つのに・・・という選手である印象が残ります
Posted by さぼろーちゃん at 13:23│Comments(0)
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